神の始

遠野三山女神伝説

 遠野の町は南北の川の落合にあり。以前は七七十里とて、七つの渓谷かく七〇里の奥より売買の貨物を集め、その市の日は馬千匹、人千人の賑はしさなりき。四方の山々の中に最も秀でたるを早地峰といふ。北の方附馬牛の奥にあり。東の方には六角牛山立り。石神といふ山は附馬牛と達曽部との間にありて、その高さ前の二つより劣れり。

 大昔に女神あり、三人の娘を伴なひてこの高原に来たり、今の来未村の伊豆権現の社ある所に宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与ふべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の娘姫の胸の上に止まりしを、末の姫眼覺めてひそかにこれを取り、わが胸の上に載せたりしかば、つひに最も美しき早地峰の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。若き三人の女神各三つの山に住し、今もこれを領したまふゆゑに、遠野の女どもはその妬みを恐れて今もこの山に遊ばずといへり。

ーーー遠野物語第二話ーーー

伊豆権現

現在の上郷町来内にあり、この神社は遠野三山の親神を祀っています。

鎮座地 遠野市上郷町来内六地割三十二番地ノ二
祭 神 瀬織津姫命(セオリツヒメノミコト) 俗名 おない
    遠野三山(早池峰山、六角牛山、石上山)の守護神の親神
例祭日 旧暦九月十七日、現在では十月の第四日曜日と改められました。

遠野三山発祥以前からあった、歴史ある神社と言うことですね。

ところで、この女神たちは一体どこから来たのでしょう?
 母神様は瀬織津姫命(セオリツヒメノミコト)とされていますが古事記、日本書紀には記されていない神名です。
 伊豆神社の由緒書では、母神様をオナイと言う俗名を持つ女性とされております。しかも、この女性はの女性は、坂上田村麻呂によって遣わされた「拓殖」の「麗婦人」というように、神ではなく人間扱いされています。瀬織津姫神が「おない」という「俗名」をもっていたというのは、この「おない」という女性の信奉する神が瀬織津姫神だというように理解できます。早池峰山の開山者としての四角(始閣)藤蔵の前に、田村麻呂伝承を置いていることが、この由緒書の大きな特徴ですが、田村麻呂と結びつけて考えるのはいかがなものでしょう?信憑性は薄いと思います。

神遣神社

遠野三山の女神がそれぞれの山に向かった起点と言われている場所です。

神社とは言え、いたって簡素で、場所も気を付けてなければ見逃してしまうかも知れません。

早池峰神社

末娘の姫であるオハヤが得た早池峰の里宮です。

色々と調べると早池峰神社ではなく早池峯神社というのが正式だと書いている所もあります。また祀られている早池峯姫大神は名前を出すのを禁じられた神様であるともされており、本名は瀬織津姫(セオリツヒメ)と言われており、遠野三山女神伝説の母神様です。

六神石神社
六神石神社
石上神社
石上神社

 遠野三山には「若き三人の女神」がいると記していた『遠野物語』ですが、六角牛山からは「女神」の存在は消えているようです。また、石上山にしても、「伊邪那美命」はたしかに女神ですが、伊豆神の娘神とは認められないので、この山からも、物語の女神は消えているとみてよいです。残るは早池峰山で、この早池峰山神と伊豆神として記載される「瀬織津姫命」という神が中心となる女神です。