遠野市街地で、ちょっとしたトレッキング気分を味わいながら遠野を観光してみましょう。
出発地点は遠野駅
鍋倉神社(鍋倉公園)~程洞~五百羅漢~愛宕神社~卯子酉様と巡り、帰ってくるコースです。
概ね7kmのコースですが鍋倉公園から林道を歩き本格的なトレッキングの気分を味わえます。
南部神社・鍋倉公園
1627年に八戸南部氏が遠野に移り阿曽沼氏が築いた鍋倉山の城で遠野を治めることになりました。
ここ南部神社は御祭神は遠野南部氏実長公から八代政光公まで八柱です。
また鍋倉山は公園としても整備されており、市民の憩いの場ともなっております。
行燈堀
遠野が南部領になって盛岡南部利直が領地巡視に来た時、二の丸の西の方は山林になっており、要害のとしてはおぼつかなく見えたので、利直は遠野を出発する前に、草木を刈り払い新しい空堀を完成させるように現場を指図した。ところが岩があったりして思うように仕事がはかどらず、夜中も提灯や角行灯などを灯して工事をしたので、後の人々はこれを「行灯堀」呼んだ。
程洞稲荷・コンセイ様
土室林道から鬱蒼とした険しい山道を登ると程洞のお稲荷様とコンセイ様の社があります。
中世の遠野領主阿曽沼氏の一族であった宮道義が同家の鎮守として勧請したと伝えられております。
コンセイ様は子宝・腰痛等にご利益があるという女性のための神様です。
五百羅漢
天明の大飢饉では遠野でも多くの犠牲者をだしました。多くの犠牲者を供養するために、大慈寺の義山和尚が、自然の花崗岩に五百体の羅漢像彫ったといいます。
今では風化と苔むしており、どうにか羅漢様だとわかる程度です。
愛宕神社
<遠野物語拾遺 第六十四話>
愛宕様は火防の神様だそうで,その氏子であった遠野の下通町辺では、五、六十年の間火事というものを知らなかった。ある時某家で失火があった時、
同所神明の大徳院の和尚が出て来て、手桶の水を小さな杓で汲んで掛け、 町内の者が駆けつけた時にはすでに火が消えていた。 翌朝火元の家の者大徳院に来たり、 昨夜は和尚さんのお蔭で大事に至らず、 まことにありがたいと礼を述べると、
寺では誰一人そんな事は知らなかった。それで愛宕様が和尚の姿になって、 助けに来て下さったということがわかったそうな。
卯子酉様
その昔は倉堀神社と呼ばれていたそうです。鮭に乗ってきた宮家と倉堀家、宮家は現在の鶯崎に、倉堀家は愛宕山に住んでいたそうです。今は縁結びの神様として慕われている神社です。何でも、赤い布を片手で結び付けると願いが叶うそうです。
<遠野物語 拾遺第一三九話>
宮の家が鶯崎に住んでいた頃、愛宕山には今の倉堀家の先祖が住んでいた。ある日倉堀の方の者が御器洗場に出ていると、鮭の皮が流れて来た。これは鶯崎に何かが変事があるに相違ないと言って、早速船を仕立てて出かけてその危機を救った。そんな事からこの宮家では、後々永く鮭の皮はけっして食わなかった。