十王堂と積善寺関係

 以前、積善寺関係を投稿していたのだが、場所的な所があやふやだったので新たに投稿することにする。

 阿曾沼氏の時代、遠野町の南、物見山の麓に九重積善寺という天台宗の大寺院があったとのこと。前には来内川、現在の東丁は全てがその参道にあたり、総門は石倉丁から東丁に折れる分かれ道にあったとされる。

 総門の周辺を下会下と言い、ささやかな十王堂が残っている。南東に伸びている来内街道の夫婦石旧跡もおそらくは積善寺の園内にあったものであり、寺の背後の九重山中には人工の滝を造り「滝不動」と言われる不動尊が安置してあったとのこと。

 現在のこの周辺は区画整備や遠野第2ダム、釜石自動車道の開発で昔の面影をとどめていない。旧地名や今も変わらず残っている物等から「積善寺」の場所を推測してみた。下記の地図のとおりではないかと思われる。

 一時は栄えた大寺も、南部氏の政略によって取り扱いが一変した。寺僧たちの横暴や、キリシタン宗門改めに際し、謀反寺であることを理由に廃寺となった。

会下の十王堂は、下記のとおり「遠野物語」に登場している。

 

 遠野町会下にある十王堂で、古ぼけた仏像を子供達が馬にして遊んでいるのを、近所の者が神仏を粗末にするなと言って叱りとばして堂内に納めた。するとこの男は、その晩から熱を出して病んだ。そうして十王様が枕神に立って、せっかく自分が子供らと面白く遊んでいたのに、なまじ気の利くふりをして咎めだてをするのが気に食わぬと、お叱りになった。巫女を頼んで、これから気をつけますという約束で許されたという事である。

「遠野物語拾遺53話」

 会下の十王様の別当の家で、ある年の田植え時に、家内中の者が熱病にかかって働く事のできる者が一人もいなかった。それでこの田んぼだけは、いつまでも植え付けができず黒いままであった。
 隣家の者、困った事だと思って、ある朝別当様の田を見まわりに行ってみると、誰がいつの間に植えたのか、生き生きと一面に苗が植え込んであった。
 驚いて引き返してみたが、別当の家では田んぼどころではなく、皆枕を並べて苦しんでいた。怪しがって十王堂中を覗いてみたら、堂内に幾つもある仏像が皆、泥まみれになっていたという事である。
「遠野物語拾遺68話」