遠野という街 其の2

柳田國男が訪れた当時の遠野とは

 

遠野は城下町として町組がなされていた。町外にむかう「下組丁」「中組丁」「上組丁」には同心丁が作られ、外敵に備えるための石垣を基礎とした枡形が組まれていた。上組町、下組町は現在も地名が残っている。

中組丁については耳にすることはない小字名で今の大工町に含まれており、北半分程を言ったそうである。JR釜石線の踏切あたりに枡組があったそうだ。

 

「上閉伊郡役所」は字坂の下丁にあり、明治12年に創建し三町十四村を統括す。

大手橋の南側、今の遠野市民センターの一画と来内川沿いの道路の部分である。

 

「遠野区裁判所遠野税務署」は其西隣りに並び、遠野町役場は道路を隔てて相対す。

現在の盛岡地方検察庁遠野支部、旧法務局のあった場所であろうか。

 

「小林区署帝室林野管理局遠野分担区」は砂場丁にあり。

智恩寺の山門がある通りで、現在岩手県遠野地区合同庁舎遠野土木センターまでの通りを昔は砂場丁と言った。

 

「遠野警察署」は字新町橋際にありて明治十三年の新築に係る。
現在の松屋菓子店の場所であろうか。

 

「遠野郵便局」は字穀町にあり、明治6年の創建にして、同二十四年三月電信局を併置す。

現在も穀町という地名は残っているがどこにあったのか今の私には定かでない。穀町の古老に話を聞けば判明できるかもしれないが、存命の古老の話を聞ける機会があるだろうか。

 

「執達使役場」は字石倉丁にあり。

現在の東舘町にある岩手南部森林管理署の通りを石倉丁と言った。

そもそも執達使役場とは何なのか良くわからない。執達使役場で働く人を執達吏(しったつり)と言い現在の執行官の旧称だと思う。地方裁判所に配置された嘱託職員(非公務員)で、裁判の執行、裁判所の発する文書の送達その他の事務を行う。根拠法は執行官法。動産物、不動産物の差し押さえ、訴状や申立書の送達、物件明け渡しの強制執行や、競売物件に関するすべての事務処理を行う。と言うことだ。

「一日市」、「六日町」、「新町」、「鶯崎」等も地名が残っている。

本町」は遠野高等学校前の通り、「裏町」は現在の仲町だと思うし、「東丁」は県道遠野住田線沿い、サンマル商店や会下の十王堂のある通りである。

昔の町名(小字名)が付いていた場所は今では路地裏の狭い通りだったり寂れていたりしているが、訪れてみるのも面白いものだ。