日出姫物語

上郷村細越の日出神社は、日出大明神として南部藩主から五石を寄進されていた。

なんでも、社殿の西方にある桂の根本にたまった水が眼病に効くということで、藩主が代参の者をつかわしたと記録にあるとのこと。

今でも社殿の西隣りに手水場があり、もしかしたらこの水が眼病に効能があるのかもと思ったりする。

 

戦前のお祭りはずいぶんと賑わったそうで、当時の軽便鉄道の臨時駅を鳥居の近くに作り、遠方からやってくる参拝客の便宜をはかったそうである。

お祭りの日は、村の人々の稼ぎ時で、臨時駅から神社までの約1Kmの道のりを荷物運び等で働いたそうだ。面白いのは、自分の家の雨戸を商人に貸し、1枚いくらという場所代を取ったそうである。
日出神社は気仙の秋丸から遷宮されたと伝えられており、今でも秋丸には本宮が残っており地元の人が管理している。

日出姫本尊説

日出神社由来の一つに、日出姫本尊説があり、源義経の幼い娘として語られている。

平泉の藤原氏が鎌倉幕府の攻撃を受けた時に義経は危うく難を逃れ、わずかな共を連れ、金売り吉次の手引で秋丸辺りの金山に逃げ込んだ。この一行の中に幼少の日出姫がいた。義経主従はさらに北へと逃げ延びなければならず、義経は、これからの道中には、とても姫を連れては行けないと判断し致し方なくこの地に日出姫を残して行った。

藤原氏が滅びると、金山の閉山が相次ぎ、姫の生活も苦しくなったことから、今の桑畑の地移り住むことになったと伝えられている。その時、姫の枕元に「七つの森に囲まれた地に暮らしなさい」との神のお告げがあった。姫はこのお告げを信じ、金の持仏と共に籠に乗り峠を越えてきた。日出姫が選んだ地は今の日出神社にあたるのだが、この神社はなぜか北向きに建てられている。

北の方を睨んで暮らすというのは、置き去りにした父義経を恨む気持ちからだったと言う人もいるが、むしろ父恋しさからと考えるのが穏当かと思われる。

七ツ森については、日出神社を中心とした森ではないかと考えられている。

ここならば、森と森との間に畑のつく地名が配置されていることから、日出姫を守って暮らし続けるのに格好の土地だったのだろう。

①とが森・②和山「つぼけ畑」・③まだだ長根「畑さわ」・④はたさわ長根「ながばたけ」・⑤がっからめき・⑥大森「だんご畑」・日向林「ささ畑」

この中で最高峰は「とが森」で、別名天香山ともいわれ、しばしば雨乞いに使われた。また、ここから早池峰・六角牛・石上の遠野三山が一望できることから、女人禁制時代の遥拝所としても利用された。

なお、貴人が居たと言われている「トンノミ」の森はこの近くにあり、日出大明神と同時代に白山姫神社が創建されている。ここにも沼の御前があり、神から賜った神聖な水として崇められ、お産の時など一週間は使用を禁じられたそうだ。

 

上郷村字細越のあたりと思うが、トンノミという森の中に古池がある。故伊能先生は、鳥海とあてるのだと言われ、よくの池の話をした。
ここも昔から人の行くことを禁ぜられた場所で、ことに池の傍らに行ってはならなかった。これを信ぜぬ者が森の中に入って行ったところが、葦毛の駒に跨り衣冠を著けた貴人が奥から現れて、その男はたちまち森の外に投出された。気がついて見れば、ずっと離れた田の中に打伏せになっていたという。
もう今ではそんなことも無くなったようである。  「遠野物語拾遺36」