金糞平と白望山

 山深き土渕町の琴畑から林道を進み大槌町(大槌は旧遠野12郷に属している。)に金糞平はある。白望山の山頂は遠野市と宮古市(旧川井村)、大槌町と三つにまたがっていると思う。

 琴畑の舗装の途切れた林道は「通行止め」の看板があるのだが、悪路のためか冬季間除雪しないため通行できないのであろう。確かに車で行くのはあまりお勧めできない。

 自分の車で行くのであれば車を壊しても良いだけの覚悟が必要と思われる。

 私は、オフロード用としているCD90で行くので大丈夫なのである。

 この金糞平は「マヨイガ」の場所と思われ、白望山は「白望の山」として「遠野物語」に登場している場所なのだ。

 帰りは舗装された道の方が楽なので貞任のウインドファームを抜けてきた。

【遠野物語 第33話 白望の山】

 白望の山に行きて泊れば、深夜にあたりの薄明るくなることあり。秋のころ茸を採りに行き山中に宿する者、よくこの事に逢う。また谷のあなたにて大木を伐り倒す音、歌の声など聞ゆることあり。この山の大さは測るべからず。五月に萱を苅りに行くとき、遠く望めば桐の花の咲き満ちたる山あり。あたかも紫の雲のたなびけるがごとし。されどもついにそのあたりに近づくこと能わず。かつて茸を採りに入りし者あり。白望の山奥にて金の樋と金の杓とを見たり。持ち帰らんとするにきわめて重く、鎌にて片端を削り取らんとしたれどそれもかなわず。また来んと思いて樹の皮を白くし栞としたりしが、次の日人々とともに行きてこれを求めたれど、ついにその木のありかをも見出しえずしてやみたり。 

 

○金糞平はタタラ場の跡であったのだろう。鉄を精錬する時に出る不純物(スラグ)を金糞という。

○深夜に薄明るくなるのはタタラ場の金糞平が近かったから。(新日鉄釜石でも、ノロ(スラグ)を出す際はあたり一面が明るくなったそうです。)

○大木を伐り倒す音は鉄の精錬に使う炭を作るための木を切り出していたのではないか。

○歌の声など聞ゆるのはタタラ場で歌を歌いながら作業していたのではないか。(もののけ姫に出てきたタタラ場でも歌を歌いながらタタラを踏んでいましたよね。)

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長者森金山跡

 この付近には長者森と言われる、かつては小国金山が開かれた場所がある。

小国金山が開かれたのは1611年(慶長16年)、遠野南部にとっては因縁の深い 南部利直公が黒印状を発行して採掘を許可していたそうである。南部利直公のことであるから、遠野南部にはあまり知られたくなかった金山だと思うので極秘裏に採掘させていたのではなかろうか。

 遠野物語に出てくる小国の三浦某の少しく魯鈍な妻が迷い込んだ「マヨイガ」はこの長者森のことと推測される。

 今度この場所を訪れる時は「長者森」の金山跡へのルートを探してみようと思ってます。

 

【遠野物語 第63話 マヨイガ】

 小国の三浦某というは村一の金持なり。今より二三代前の主人、まだ家は貧しくして、妻は少しく魯鈍なりき。この妻ある日門の前を流るる小さき川に沿いて蕗を採りに入りしに、よき物少なければ次第に谷奥深く登りたり。

 さてふと見れば立派なる黒き門の家あり。訝しけれど門の中に入りて見るに、大なる庭にて紅白の花一面に咲き鶏多く遊べり。その庭を裏の方へ廻れば、牛小屋ありて牛多くおり、馬舎ありて馬多くおれども、一向に人はおらず。ついに玄関より上りたるに、その次の間には朱と黒との膳椀をあまた取り出したり。奥の座敷には火鉢ありて鉄瓶の湯のたぎれるを見たり。されどもついに人影はなければ、もしや山男の家ではないかと急に恐ろしくなり、駆け出して家に帰りたり。この事を人に語れども実と思う者もなかりしが、また或る日わが家のカドに出でて物を洗いてありしに、川上より赤き椀一つ流れてきたり。

 あまり美しければ拾い上げたれど、これを食器に用いたらば汚しと人に叱られんかと思い、ケセネギツの中に置きてケセネを量る器となしたり。しかるにこの器にて量り始めてより、いつまで経ちてもケセネ尽きず。家の者もこれを怪しみて女に問いたるとき、始めて川より拾い上げし由をば語りぬ。この家はこれより幸運に向い、ついに今の三浦家となれり。遠野にては山中の不思議なる家をマヨイガという。マヨイガに行き当りたる者は、必ずその家の内の什器家畜何にてもあれ持ち出でて来べきものなり。その人に授けんがためにかかる家をば見するなり。女が無慾にて何ものをも盗み来ざりしが故に、この椀自ら流れて来たりしなるべしといえり。

 

○このカドは門にはあらず。川戸にて門前を流るる川の岸に水を汲み物を洗うため家ごとに設けたるところなり。とあるが私は遠野弁で「カンド」と言ってます。

○ケセネは米稗その他の穀物をいう。キツはその穀物を容るる箱なり。大小種々のキツあり。

 また小国の三浦某少しく魯鈍な妻とは別に「マヨイガ」に辿り着いた者もいたそうである。

 この土坂峠を下った大槌町の金沢(当時は金沢村)から土淵町栃内の山崎(山崎のコンセイサマがあるあたりであろうか?)に婿に入った者の話である。実家に行こうとしてマヨイガに辿り着いたものの何も持ち帰らず、再度訪れて何か持ってこようとするものの二度とマヨイガに辿り着けずに、婿の家は金持ちにはなれなかったそうである。

【遠野物語 第64話】

 金沢村は白望の麓、上閉伊郡の内にてもことに山奥にて、人の往来する者少なし。六七年前この村より栃内村の山崎なる某かかが家に娘の婿を取りたり。この婿実家に行かんとして山路に迷い、またこのマヨイガに行き当りぬ。家のありさま、牛馬の多きこと、花の紅白に咲きたりしことなど、すべて前の話の通りなり。同じく玄関に入りしに、膳椀を取り出したる室あり。座敷に鉄瓶の湯たぎりて、今まさに茶を煮んとするところのように見え、どこか便所などのあたりに人が立ちてあるようにも思われたり。茫然として後にはだんだん恐ろしくなり、引き返してついに小国の村里に出でたり。小国にてはこの話を聞きて実とする者もなかりしが、山崎の方にてはそはマヨイガなるべし、行きて膳椀の類を持ち来たり長者にならんとて、婿殿を先に立てて人あまたこれを求めに山の奥に入り、ここに門ありきというところに来たれども、眼にかかるものもなく空しく帰り来たりぬ。その婿もついに金持になりたりということを聞かず。