ダンノハナ
21日 4月 2022
 ダンノハナとは遠野の各集落ににあったと言われる墓地兼処刑場だったそうである。  遠野の言い伝えや、当時の噂話を”佐々木喜善”氏が”柳田国男”先生に話したことで「遠野物語」が誕生したそうである。  その”佐々木喜善”氏の墓が土渕町山口のダンノハナにある。  遠野物語の序文でも柳田先生が次のとおり記してある。...

界木峠
17日 11月 2021
 界木峠について「遠野物語」で触れられているのは第5話だけだと思った。  本格的な紅葉が始まる前(冬になる前)にバイクで行ってみた。その後Facebookにアップしたらある人から「界木峠の怪」についてのコメントが寄せられ、そう言えば以前その話を聞いたことを思い出した。  その内容は下記のとおりである。

金糞平と白望山
20日 4月 2021
 山深き土渕町の琴畑から林道を進み大槌町(大槌は旧遠野12郷に属している。)に金糞平はある。白望山の山頂は遠野市と宮古市(旧川井村)、大槌町と三つにまたがっていると思う。  琴畑の舗装の途切れた林道は「通行止め」の看板があるのだが、悪路のためか冬季間除雪しないため通行できないのであろう。確かに車で行くのはあまりお勧めできない。...

29日 4月 2020
喜清院は青笹町にある宗洞宗のお寺で、土淵町の常堅寺の末寺であったそうです。 ここの本堂前に自立しているシダレザクラの大木です。 寺伝によれば、享保五年(1720年)第六世積元が南部家から拝領し、堂前に手植えしたものが明治23年(1891年)の火災で類焼し、その実生を植えたものが現在の木である。...

29日 3月 2020
 はるか昔のこと、奥州閉伊郡遠野の横田城主は、俵藤太藤原儀秀郷の後胤奥州阿曽沼郡の領主阿曽沼四郎広綱である。文治五年、頼朝公が奥州の藤原泰衡を御退治になった時、広綱は軍役について奉仕し、戦場で手柄があったので、ご褒美として閉伊郡のうち、遠野十二郷を賜った。遠野に入部して横田村護摩堂山に城を築き、横田の城と呼んだ。...

21日 3月 2020
【遠野物語拾遺 第一一三話】 綾織村から宮守村に越える路に小峠という処がある。その傍らの笠の通という山にキャシャというものがいて、死人を掘り起こしてはどこかに運んで行って喰うと伝えている。 また、葬式の際に棺を襲うともいい、その記事が遠野古事記にも出ている。その恠物であろう。...

11日 3月 2020
【遠野物語拾遺 第123話】 物見山の山中には小豆平という所がある。昔南部の御家中で中館某という者が鉄砲打ちに行き、ここで体中に小豆をつけた得体の知れぬものに行き逢った。一発に仕止めようとしたが、命中せず、ついにその姿を見失った。それからここを小豆平というようになり、狩人の間に、ここで鉄砲を打っても当たらぬと言い伝えられている。

27日 2月 2020
デンデラ野と言えば、土淵町山口集落にある小高い丘が知られているが、遠野物語拾遺第266話には青笹町にあったと記されている。姥捨て山的な所は各地域に存在したのであろう。...

20日 1月 2020
 「遠野小学校」が「遠野東小学校」と言われていた当時のことである。  春の運動会開催の前夜に小学校が燃えてしまった。小学校に入学したてで運動会を楽しみにしていた私の家からも明々と巨大な炎が立ち上るのが見えたのを覚えている。...

13日 12月 2019
 遠野では12月12日は「山の神」の祭日である。  山の神の祭日には山へ入ってはならぬという。この日山の神は山の木を数えると言われている。  この日山に入ってしまうと、山の神様に木と一緒に数えられて里に帰ってこられなくなると言う。  この日、山で仕事をする人たちは山へは入らず、木は切らず、日頃の恩恵に感謝しつつ明日からの安全を祈願する。...

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